※ 新米(人魚の舞)の完成に伴い「イトーチェーン泉店」さんより販売開始しました。2024正月価格販売です。
東日本大震災記録

3.11東日本大震災について No.10

東日本大震災記録

2011震災当時、一次避難、二次避難、三次避難の対応が難しく、復興事業がなかなか進みませんでした。その中で「自分たちが出来ることをしよう」そう話し合って部活動運営を始めました。津波の被害を受けた生徒は無表情な状態が続き、感情を表に出すことが出来ませんでした。しかし、練習をしていく内に、少しずつ表情が変わっていきました。「先生!テニスってこんなに楽しかったんですね。」「生きてて良かった。」笑い声が少しずつ増えていきました。

3.11東日本大震災について No.10             2011.4.9(土)

4月9日(土)第1次避難者受け入れ  宮城県農業高校 男子7名女子13名 計20名参加  宮城県ソフトテニス部避難所 開始!

 選手に笑顔が戻ってきました。約一ヶ月もの間ラケットを持てなかった選手は生きていることの喜びを噛みしめながらボールを打っていました。絶対無二の一生を確かなものにするために。

 宮城県農業高等学校脱出劇を聞くことが出来ました。

 2011年3月11日2:46に三陸沖を震源に大地震が発生!東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)は、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、津波と火災で多くの被災者が出た。

 宮城県農業高校は海から2キロ圏内に位置し、地震発生後、最大の危機が押し寄せた。入試の事務処理もあり、午後は部活動をしていた生徒だけが学校にいた。練習中に地震が発生し、津波警報がけたたましく鳴り響いた。「逃げろ!」校庭にいた生徒は校外に逃げようとした。しかし、到底生徒の足では逃げ切れない。「待て!屋上に上がるんだ!」「早くしろ!」檄が飛ぶ。「道具も何もいらない兎に角逃げろ!!」一斉に階段を駆け上がった。養護教諭が緊急用品を持ち出している間に他のものより遅れた。「手伝え!」必死で上へと駆け上がる。階段を上る途中で外を確認すると遠くに白い高波が見えた。あの波が来たら命がない。「早くしろ!」何とか屋上まで上がった。もうすでに水は校舎に達していた。129人の生徒が屋上で震えていた。「全員いるか!」「分からない」焦る先生。先生が一人生徒を探しに行って取り残されていた。「危ない!」みるみるうちに水かさが増し、やっとの思いで武道館の屋根に上った。「動くな」危機一髪だった。もうすでに2階まで水かさが増した。「このまま増えていったら命はない」固まって震える生徒。今までのすべてが流されていく。大切にしていた牛も馬も、農作物もすべて飲み込んだ。今まで練習してきたコートがなくなった。一瞬水面が止まったかに見えた。その後一気に海へと流れ出す。今度は急に引き始めたのだった。校舎のきしむ音、悲鳴、すべてを黒い絨毯が渦を巻いて飲み込んで引いてゆく。車が人が流されてゆく。地獄絵図のように信じられない光景が校舎を飲み込んだ。逃げ遅れた教師は水が引き第二波が来ない内に武道館の屋根から降り、ヘドロ水の中を胸までつかりながら校舎へと歩いて移動した。第二波・第三波があるに違いない。生徒129人と教員70名が宿泊をすることを決めた。運良く3階は浸水してはいなかった。「3階に移動しろ!」寒さが厳しくなってくる。

電気もガスも水もない。「いいか生き延びるぞ!やれることにベストを尽くせ」「はい!」 各教室のカーテンを集め体に巻いた。ロッカーから体育ジャージを見つけ重ね着をした。段ボールを見つけ下に敷いた。ロウソクや懐中電灯を集め少しでも明るくした。だが恐怖を和らげることは出来なかった。閖上港で火災が発生し、オレンジの明かりが朝まで続いた。皮肉にもその明かりが暗闇からの恐怖と不安を和らげた。「生きて帰ろう!」「はい!」

 眠れない一夜を過ごし、朝を迎え朝食を試みた。米は2階にあったが、何とか食べられそうだった。家庭科室から鍋を持ち寄り、だるまストーブでお湯を沸かし、おかゆを作った。12:00頃いよいよ脱出を試みることになった。余震が続く中、新たな津波が起きる可能性もあった。しかし、このままでは死を待つだけだった。機転を利かせた養護教諭が大量にゴミ袋を持ってきていた。足をゴミ袋に入れ靴を履き、ヘドロまみれの水に太ももまでつかりながら1キロの道のりを歩いた。たった1キロが長く長く感じた。「もう少しだ」

 保護者が迎えに来ていた。「助かった」涙が溢れた。親が来られない生徒は下松田小学校に避難した。15人の生徒が連絡が取れず学校に残った。もしも、三陸町志津川や女川のような津波が襲っていたなら全員が命を落としていた。地形が幸いしただけだった。生徒3名が犠牲になっていた。恐怖心を抱いた生徒たちの心は閉ざされたままだった。

 宮城県ソフトテニス部避難所(仮名)は、被災に遭った子供たちを受け入れ、少しでもスポーツを通して心のケアーをしていきたいと考えております。今回は宮城県農業高等学校のソフトテニス部を対象にいたしましたが、これからは小学生・中学生も対象に入れて行かなければならないと考えております。

*支援物資* 埼玉県秩父市からボール・菓子類など、長野県佐久市から衣類など。 ありがとうございました。