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東日本大震災記録

3.11東日本大震災について No9

東日本大震災記録

2011震災当時、父は3週間過ぎても、時折、津波の恐怖を思い出し、手が震えるときがあると言っていました。そして、食欲が減退してきて行きました。恐怖からの後遺症はジワジワと後から現れていました。また、叔母はデイサービスにいて津波に遭い、逃げ遅れたために部屋の中で津波の波が押し寄せ、天井の数十センチのところで辛うじて息をし、その後波が引いて行き、命が助かったといいます。その後、一人で仮設住宅に住んでいましたが、認知症が急速に進んで行きました。孤独と感じさせない方法を考えていく必要があると思いました。

3.11東日本大震災について No9 (震災から1ヶ月後) 2011.4.7(木)

4月2日(土)物資回収 中学生被災地訪問(閖上)宮城農業高校

4月4日(月)ソフトテニス避難所開設問題点発覚・避難所掃除

4月5日(火)臨時避難者参加 

        2名が入居(石巻商業)・避難所掃除

4月6日(水)南三陸町志津川訪問 

順大ジュニアボランティア、ベイサイドアリーナや志津川高校避難所訪問。

物資搬入・肩もみ隊などを行った。小中高の子供たちと大人が入り交じっての志津川町民チームとサッカーの試合をしてきました。志津川町民チーム 1-0 順大ジュニアボランティアチーム(仙商ソフトテニス部チーム)

詳細

 仙台では、ソフトテニス部避難所設置を試みました。しかし、この一週間の間に、多くの難関が押し寄せてきました。10年間も使用されていなかった家屋は、玄関の屋根が腐食してずり落ち、部屋は、床下が腐食して今にも崩れ落ちそうな床の部屋が二部屋ありました。他の部屋も天井や壁は煤や汚れですぐには住める状態ではありませんでした。水回りもパッキンが緩んでいたり、トイレは地震の影響でパイプの部分が損傷し、男子トイレは使えない状態でした。辛うじて使えた女子トイレも水がうまく止まらない状況でした。お風呂もボイラーが使用できずお湯が出なかったことや、汚れがひどくすぐには入れない状態でした。障子や襖も損傷が激しかったため全部張り直すことにしました。家具は地震が多いことや人を多く宿泊させるために廃棄処分したのですが1.5トントラックを借りて廃棄しました。掃除と壁のペンキ塗りは自分たちで行い、問題の床の基礎工事は自力でやるには時間があまりなく、暗礁に乗り上げておりました。そんなとき新入生の保護者の方が「私がボランティアで床の基礎と水回りを直しましょう」と動いて頂きました。本当に頭が下がります。

今までの一週間は練習と避難所掃除と支援物資搬入をやって参りました。支援物資搬入は順天堂トレーナーとスエットズボンをユニフォームにして現地に乗り込みました。到着時間が遅かったことから、地域の末端に届けられないと判断し、避難所訪問に切り替え、物資を搬入し、その後、ご飯の運搬と配膳をし、肩もみ隊を結成、避難者との会話をしながら心のケアーに努めました。最後にステージ前に並び、「大変な生活が続いていますが、これからも頑張ってください」「頑張ってください!」大きな拍手が起きました。帰ろうとしたときに小学生たちが「サッカーをしよう!」と生徒の手を掴んで離さない様子を見て、薄暗い中でサッカーの試合をすることにしました。最初は小学生だけでしたが中学生や高校生、一般の方まで入ってきて1点サドンデスの試合が和やかに行うことが出来ました。最後に入れたのは志津川高校生でした。志津川町民チーム全員に歓喜がわいて、楽しいひとときが幕を閉じました。辛いことを乗り越えようとする子供たちの笑顔を見て生徒は逆に元気をもらって帰ってきました。

 親や友を無くした子供たちは一つ一つを乗り越えて前を向こうとしていました。スポーツの持つ力を認識したと同時に、スポーツをする生徒の救済を早くするべきだと実感して参りました。

  被災に遭った高校のソフトテニス部に避難所参加を呼びかけたところ、多くの生徒が肉親や親戚の捜索活動があることや、家の掃除の手伝いなどを理由に、まだ参加できないという生徒が多いのが現実でした。しかし、その中でも20名の参加が決まりました。一人でも多く救済できればと思い行って参ります。