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東日本大震災記録

3.11東日本大震災 no.5

東日本大震災記録

2011東日本大震災当時、何度も被災地に足を運んでいると、震災時の情報が耳に入
ってきました。海のすぐ近くでプレハブを利用して食品販売をしていた教え子に出会
いました。当時の様子を尋ねると津波襲来直後は多くの人が泥だらけで横たわってい
て、生きている人たちで、遺体を運んだことや、高台の高校では、部活中に津波が襲
来し、一人の教師が生徒に「動いちゃだめだ」と言いながら人を助けに行き、波にの
まれたと言います。幸い山側に流され一命を取り留め、その一言で生徒の被害は避け
られたと言います。その後、運動部員を中心に安全を確認しながら泥だらけの人たち
を何度も何度も体育館に運んだと言います。そのお陰で何人もの人が助かったそうで
す。しかし、間に合わず多くの方々がそのまま命を落としたと言います。私が父を探
しに行ったときには体育館には何十人もの遺体が収容されていました。地元の高校生
は本当に辛い経験をしたのだと心が痛みます。と同時に勇気に感謝致します。

2011.3.28

数々の物資を送って頂き、誠にありがとうございます。数多くの犠牲者を生んだ今回の
大震災は海岸線の津波による被害が広範囲に渡りました。今日はその状況も把握するため2
番目に被害が多い女川町に行ってみました。
 そこには三階建てのビルが根こそぎ横倒しになっていたり、5階建てのビルの屋上までも
海水が到達して破壊されていたり、折れ曲がった電車が横倒しになっていたりと、目も当
てられない情景に出会いました。誰もが予想しなかった惨状がそこにはありました。
 女川の知人とは未だに連絡が取れない理由が分かりました。あの短時間では逃げても逃
げ切れない状況だったと思います。
 その後、石巻市湊に住む教え子に会いに行きました。辛うじて親戚の家に身を寄せ生き
ていました。震災当時の話を聞くと、近くのスーパーで買い物をし、車で帰る途中に津波
に遭遇し、水かさが増す間に必死で二人の子供を車の上にのせ、車の上で海水に流されて
いたところ、偶然に高い壁に到着したので移動し、その後高いところ高いところと移動し
ている内に救出されたと言います。偶然の重なり合いが、3人の命を救ったのでした。夫は
原子力発電所に勤務しており、そのときたまたま青森に出張していて9時間も経過して戻っ
てきてやっと出会ったそうです。
 女川駅周辺は原子力発電所の宿舎は崩壊しており、もし宿直でそこにいたとしたら命は
亡かったと言います。今住む万石浦という場所でも電気・ガス・水道が今も復旧しておら
ず給水所には長蛇の列をなし、物資も十分ではなく大変な暮らしをしていました。海側と
陸側では大きな温度差が生じていました。
 送って頂いた物資を教え子や近所に配り、その後石巻市の海岸沿いを走ると、悲惨な状
況がそこにもありました。山陰の駅側でさえも波は押し寄せていました。
 矢本町というところに住む教え子は、災害に遭いながら双子の息子を育て、地域の避難
所で食事の配給やボランティアをしていました。
 九死に一生を得た人が必死に生きている姿に共に頑張って行かなければと勇気を得るこ
とができました。
 *2011.3.28到着物資* 順天堂大学ソフトテニス部OBの方々から頂きました。愛知県
新城市から野菜など、東京都葛飾区から衣類など、群馬県前橋市から懐中電灯・電池など
です。 本当にありがとうございました。