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東日本大震災記録

3.11東日本大震災 No.4

東日本大震災記録

「約束」は生きる原動力

能登半島地震が起きてから一週間が過ぎ、辛い日々を過ごしていることと存じます。孤立している集落などまだまだあるかと思います。何もない中で試行錯誤しながら過ごす大変さを感じていることと存じます。生きていれば必ず救われると信じて祈っています。

何故なら・・・震災で津波被害に遭った両親ですが、父は津波に追われながらも避難所に逃れて命を繋ぐことができ、その後、陸側の仮設住宅住まいを経て、住み慣れた仮設住宅の近隣に自宅を建て生活して来ました。しかし、父は津波ですべてを失ったことによる精神的負担や糖尿病をはじめ生活習慣病に悩まされ、4年前に2度の脳梗塞を発症、妄想・幻覚に悩まされるようになり、介護施設を利用できなくなり、自宅介護生活を送っていました。その後、3年前から震災前に摘出手術を受けていた胃癌の転移が見られ、白血病を発症し、週に1度の輸血と点滴で命を繋いできました。実は以前から、「私が定年を迎えたら、一緒に米作りをしましょう。」と約束をしており、2年前に共に始めるつもりでした。しかし、その頃、父の体は、痩せ細り、体力は衰え、農業は出来る状態ではなく、共に働く夢は成し遂げることは出来ませんでした。何故なら、その後、皮膚癌を発症、肺・肝臓・リンパに転移しており、2023年1月11日11:47静かに永遠の眠りにつきました。震災の月命日でした。今年の1月11日一周忌を迎えます。東日本大震災の時、全国から物資を送ってもらい、二人で緊急車両に認定してもらったマイクロバスで、通行止めを通過し、崩壊した海側に物資を届けました。ギリギリの生活をしている避難者に数多く出会いながら励ましてきました。父は苦しんでいる被災者と共有することで自分自身を励ましてきました。「共に生きよう」その約束を果たそうと多くの病気と戦ってきました。生きることを決して諦めることなく最善を尽くして来ました。父にとって「約束」は生きる原動力だったからです。 

3.11東日本大震災 No.4

(支援いただいた方々への報告記録) 2011.3.27

 お世話様になっております。今年のお彼岸は震災でお墓参りができなかったのため、今日は、お墓参りをし、今後の対策を災害対策室や町の方針を聞くために現地入りをしました。

 墓地は地震で倒壊しておりましたが、幸い私の家の墓石は奇跡的に倒れていませんでした。しかし、大幅にずれていたり、上部は後ろ向きになったりしていました。

 今後の町の方針は被害者全員を部落ごとに陸側の他の市町村に移住するというものでした。すべてが崩壊し、仕事も店もない中での「苦渋の選択」というものでした。

 しかし、離れて生活すれば再建はますます遅れてしまうと考えている人が多く、助かった家族がばらばらになることが予想され、難しい現状でした。

 その後、先日会うことができなかった消防活動で亡くなったソフトテニス部男子キャプテンだった教え子のお母さんとお姉さんにやっと会うことができました。

 お姉さんの嫁ぎ先に身を寄せていたお母さんは、火葬を終えてやっと落ち着いた様子でした。家も息子もなくし、遺品さえも見つからず苦しい日々を過ごしておりました。

 息子の高校時代のプレー姿を引き延ばした写真と数枚の写真集を渡し、息子の分まで生きてほしいと告げ、野菜や生活用品を渡しました。写真という形で再会した二人は終始、涙を浮かべて感謝の言葉を述べて頂きました。

 すべてをなくして初めて人に必要なものは形のある物ではなく、形のない心であるということが分かりました。きれい事としか映らない生徒が多くまってきている昨今、「心が人を支える」のだということを伝えていきたいと思います。

 昨日渡した閖上の教え子からメールが届きました。

 「先日は沢山の物資をありがとうございました。私たちと同じように避難している人達と分けさせていただきました!みんなもすごく感謝しておりました!本当に本当にありがとうございました。私も力になりたいのですが、今は何もできないのがもどかしいです。でもこうして温かい言葉や救援物資をわざわざ送ってくださるお陰で本当に元気をいただけます!津波ですべてがなくなってしまいましたが、この機会で人の温かさや絆を感じることができました。これから前向きに新しい暮らしがはやく出来るように頑張って行きたいと思います。順天堂大学の関係の方々に宜しくお伝えください!本当にありがとうございました。」

*2011.3.27到着物資* 千葉県船橋市から野菜など、東京都世田谷区からテント用品・衣類などでした。ありがとうございました!