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東日本大震災記録

3.11東日本大震災 No.3   (震災2週間後)           2011.3.26

東日本大震災記録

3.11東日本大震災4日目にガソリンが調達できず両親を探しに行けないという同僚であり教え子がいました。私の義理の両親を救出した次の日、南三陸町志津川に向かいました。

向かった先には全く情報がないまま一日が過ぎようとしていたときでした。海のすぐ近くにある高野会館の屋上にいたという情報が入りました。そこは水没したビルの屋上で屋上に500人が取り残されていた中にいたと言うのです。安否が分からないまま歩き回り疲労困憊をしていたときでした。小学校の体育館にいるという情報が入り、向かった先には濡れた服の着替えがないままの姿で教え子の父がいました。再会を果たした教え子は他のところにいた母とも再会をし、仙台に連れてくるときでした。部落の責任者だった教え子の父は「一人だけ逃げていくわけにはいけない」と断念しているときでした。隣に座っていた中学生が近寄ってきて、「おっちゃん!部落は俺に任せて行った方がいい。」そう言ってくれたのです。彼の家族は一人も見つかってはいないにも関わらず、だからこそ毅然とした態度で言ってくれたのでした。感謝を述べ涙で溢れる教え子の父を乗せて仙台に帰還したのでした。  あの中学生は今何をしているのでしょうか。会ってお礼をしたいと思っています。

3.11東日本大震災 No.3   (震災2週間後)           2011.3.26

 この度の大震災に際して、順天堂大学のOBの皆様には、励ましの言葉や、多くの支援物資並びに心遣いを頂き、誠にありがとうございます。被災者の多くの方々から感謝の言葉や喜びの涙と笑顔を見せて頂いております。生きる勇気を呼び起こしてくれる皆様のご厚意に深く感謝申し上げます。

 本日は前任校の教え子たちがいる仙台近郊の海岸線部に足を向け、教え子の安否確認と支援物資の配達をして参りました。今まで最も被災者の多い南三陸町を重点的に支援して参りましたが、今回の大震災の特徴でもあります広範囲の被害状況を確認する意味でも他の地区に足を運んで参りました。

 まず南東部に位置する亘理郡では6号線を越える地域までに被害が及んでおりました。何とか教え子は無事でしたが実家を失っているものが数名いました。

 親戚の安否を確認しながら時間だけが過ぎ、数多い避難所から探すのは難しく、最終的に会えませんでしたが、何とか他の親戚の家に移っていたことが分かり、生きていたことを確認できました。

 その後北へ進み岩沼方面の海岸線は壊滅状態で、仙台空港周辺は地獄のような崩壊状態でした。その中で仙台空港に勤務していた教え子と連絡が取れ、会うことができました。その卒業生は震災当日たまたま出張で仙台市の中心部に行っていたため津波に遭遇せずに済んで、難を逃れたそうです。

 しかし、自宅のある閖上漁港に一緒に行ってみると、自宅は家の基礎の部分を残すだけですべて流されておりました。近くの高台から見下ろしてみるとすべてが崩れ去り、リアス式海岸とは違い津波の高さは低いにもかかわらず、押し流して崩し持ち去る津波の恐ろしさを物語っておりました

 彼女の家族は避難所にいたのですが、家や肉親をなくした方を優先してあげようとアパートを見つけ、通勤をしようと判断し、移り住むことを決めたそうです。しかし、着るものも生活用品もなく、すべてを一からそろえなければならない状況の中で再出発をしようとしておりました。

 誰からもどこからも支援されないのを知っていながら自立しようとする家族の姿に感動して参りました。皆さんから送って頂いた生活物資を渡しながら趣旨を説明し、多くの方の励ましがあることを伝え、少しでも心の傷を癒やしながら頑張ってほしいと堅い握手を交わして参りました。

 明日は先日会えなかった消防活動で命を落とした教え子のお母さんに会いに行きます。所在がやっと分かりましたので、野菜と共に当時の写真を渡してこようと思います。一人でも心が癒え、生きる勇気を持てるように、活動を続けて参りたいと思います。よろしくお願いします。

2011.3.25着の物資です。順天堂大学時代の同級生、埼玉県秩父市から日用品などをいただきました。ありがとうございます。