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東日本大震災記録

東日本大震災の記録 No.2

東日本大震災記録

今の私

2023年1月11日、東日本大震災ですべてを失った父は多臓器に癌が転移しており、震災13
回忌の年の月命日に深い眠りにつきました。
2024.1.11は義理の父の一周忌に当たると同時に、2023.11.24に肺炎のため亡くなった
母の四十九日でもあります。
認知症で長い間苦しんだ母は、リュウマチ治療で免疫力が落ちるため感染症のリスクを
恐れ、デイサービスにも行かなくなり、自宅にこもって行きました。そのため認知症が進
行して行き、自分を失って行きました。自暴自棄の言葉を話すようになったため、感染症
のリスクを承知で老人介護施設に入居しました。
施設の方々の手厚い介護により徐々に認知症は改善され穏やかに暮らしていました。し
かし、感染症は忍び寄り、コロナ感染症に罹患した後、体力を消耗し、カリニ肺炎で容態
は急変し、90歳でこの世を去りました。
東日本大震災から多くの大切な人を失いました。その辛さを能登半島地震で大切な人を
失経験をされた方が数多くいることを知り心から哀悼の意を表します。
辛く苦しい日が続きますが是非乗り越えていただきたいと存じます。
東日本大震災の時に残した資料を配信致します。参考にしていただければ幸いです。

東日本大震災について(震災2週間後)の記録 No.2            2011.3.25

2011.3.24歌津町           2011.3.27志津川

東日本大震災について(震災2週間後)の記録 No.2           2011.3.25
 昨日(2011.3.24)、緊急車両に認定してもらった場マイクロバスで、県外から送っていた
だいた物資を、被災地域(南三陸町)に父と一緒に物資を届けに行って参りました。向か
う途中に父は、夜の眠りから目が覚める時、「今日も仏壇に線香を上げてから農作業をし
なきゃな」と思いながら目を開けるといいます。しかし、目を開けた瞬間、今までと違う
天井に気づくと涙がでるといいます。
 荒廃した場所の自宅を見ては涙があふれ、ぼそりと「帰りたいな」と呟きました。
その後も涙は止まりませんでした。知り合いに会っては生きていたことに涙があふれ、
育ての親代わりの遠い親戚に会っては育ててくれた感謝を述べては涙を流し、多くの同級
生が亡くなったことを知らされて涙があふれ、一日で何度も何度も涙を流しながら物資を
届けて参りました。
 *現在の状況*(震災2週間後) 
荒廃した地域は、自衛隊員が頑張って捜索や瓦礫の撤去をしているのですが,あまりに広範
囲のため手が行き届かない場所が多く、戦場のような場所が何ヶ月続くか分かりません。
歌津地区にまだ自衛隊は入っておらず道路を家の上部が塞いだままでした。
全壊した家の近くにあるコンテナに寝泊まりをし、集会所で食事を受け取り、復興作業に
取り組んでいました。
 海岸沿いの歌津中山に住んでいる親戚は、すべてを流され、唯一残った土蔵に辛うじて
身を寄せていました。電気もいつ通るか分からないまま生活をしており、風呂にも入れず
2週間を過ごしていました。送っていただいた男爵いもは、農作業の種にしたいと口にす
るのを我慢すると言っていました。
 避難所においても環境に差があり、廊下に寝泊まりをしている避難所もあり、寒さに震
えながら毎晩過ごしていました。食べるものについても人が多いため、栄養価の多いもの
は作ることができず、十分な栄養を摂取することはできずにいました。何とか生きている
というのが現状でした。
 また、プライベートも確保されるのは難しく精神的に追い込まれている人もいます。仮
設住宅の目処も立っておらず大変な思いをしております。もし、食事等の物資が途絶える
時期が来たなら、家も職もない中で生きていくことは難しくなっていくと思います。
 今早急にやることは徐々に自力で生活する環境作りを少しずつ作っていくことが大切だ
と思います。もしできることなら、移動式プレハブや発電機、生活物資や家電製品、プロ
パンガス、大衆シャワー施設など大きいものから、日用品のような小さいものまで提供す

る必要があると思います。プレハブ会社に行って確認したところ、国からの仮設住宅建設
を請け負っているので、個人への貸し出しや販売はできないと言われました。その会社の
敷地内には多数のプレハブが置かれているにもかかわらず、被災者救済を行っている国と
の契約のために個人の被災者救済ができないということでした。出来れば柔軟な対応も必
要と感じました。
 家や家族を亡くして傷ついている心を癒やすためにも、自宅に近い場所に住み、田や畑
を耕し、早く元の形にしたいと思っている人たちへの救済がされない可能性があります。
そのような人たちに物資を渡していきたいと思います。
 送っていただいた品物は、漁村地域と避難所(ベイサイドアリーナ)に置いて参りまし
た。道路がまだ整備されてないところが多く運搬はなかなか難しいのですが、何とか頑張
って行こうと思います。
2011.3.25に届きました物資は次の通りです。
 順天堂大学ソフトテニス部OBの方々から物資を頂きました。千葉県匝瑳市から野菜・日
用品など、長野県佐久市から野菜など、千葉県流山市からアウトドア用品・コンロなど、
野菜・鍋・調味料など、(お見舞い金はすべて軽油・ガソリン代に当てたいと思います)
本当にありがとうございます。

2011.3 志津川